日本語のあれこれ日記【81】
[2026/3/23]
この私のサイト記事は、ほとんどが「です・ます」体の文章になっています。
例外として、「前書き・後書きの部屋」の記事は「だ・である」体です。
これには理由があります。私の中では、50代の半ばごろでしょうか、自分が書く文章が、「だ・である」体から「です・ます」体に移行したのです。
おそらく数年にわたって、少しずつ変化してきたような気がします。勤め先で目にする書類も「だ・である」体から「です・ます」体に移行していったと記憶しています。
このサイトは、私が定年退職した60歳の翌年から書き始めました。その中で、「前書き・後書きの部屋」の記事の一部は、それよりも数年前から書き溜めた文章をもとにスタートしたのです。
おそらくですが、50代のいつ頃だったか、本の前書き、後書きが気になって、メモを残すようになったのです。
このサイトの「更新の履歴」を見ると、「前書き・後書きの部屋 」の更新履歴としては、No.35の追加が最初の記録で、2012/06/09と記録されています。
ですから、No.1~34の記事は、最初にサイトを立ち上げたときに、すでにできていた上述のメモ書きを載せたものと思われます。
そのようなことから、「前書き・後書きの部屋」に新しく追加する記事は、それまでの記述に合わせて、「だ・である」体にしてきました。
このシリーズの記事だけが「だ・である」体というのもなにか変な印象ですし、私自身が「です・ます」体で書くことが習慣になっていたので、いっそのこと、過去の記事も「です・ます」体で書き直そうか、とも思いましたが、量がかなりあるので断念していたのです。
前書き・後書きの部屋」のある記事で、この問題をとりあげたことがありました。No.57の「ザ・テクニカルライティング」という本の前書きに関する記事です。
そこでは、「だ・である」体の文章が続いた後に、「です・ます」体の文章が続いて終わるのです。
どうしてそういうことになったのかというと、想像が付きます。「です・ます」体の文章はいわゆる謝辞の部分なのです。「深く感謝します。」で終わるような文章なのです。
確かに、「深く感謝する。」というのはちょっと尊大な印象を受けます。その分野の大先生ならともかく、そうでない著者なら、避けたい気持ちになるのは当然でしょう。
せいぜい「感謝申し上げる。」とか、「感謝申し上げる次第である。」なとという文章にして、やわらかい表現にするという方法をとるのでしょう。
いずれにしても、謝辞のような文章は、やさしい文章にしたいところです。
たまたま県立図書館に行ったとき、ある一冊の本が目に入りました。
平尾昌宏 日本語からの哲学 なぜ<です・ます>で論文を書いてはならないのか? 晶文社 2022年9月 初版
この著作ができたきっかけは、著者が「です・ます」体で書いた論文を投稿したところ、「だ・である」体に書き直せば論文掲載の許可がありる、という場面に遭遇し、「なぜ論文は「です・ます」体ではいけないのか」という疑問を感じたということにあります。
著者は哲学者ですから、ある意味で"七面倒くさい"議論が続きます。
現実には、ほとんどの論文は「だ・である」体で書かれていて、事実上の標準になっているのは認めるにしても、なぜ「です・ます」体がいけないのか、そのことを分析しています。
議論は、「日本語による哲学」ということにつながってきます。
いろいろな側面からこの問題を分析していて、なるほど、そういうことも考えなければいけないのか、と教えられました。しかし、正直なところ、本書の内容をきちんと把握することは私には無理、と白旗を上げました。
その中で、一つだけ、記録しておきたい個所があります。
「あとがき」の中に、次のように書かれています。(p.285)
考えながら書いたので、非常に混乱した原稿を直し直ししていった。そういう、何が書きたいか分からない原稿を読んでくれた、立命館大学大学院の砂田和輝君、晶文社の安藤聡さんにお礼申し上げます。(このように我々は、相手のある場合には、<です・ます体>を使うのである)。
まさしく、謝辞の部分です。
本書の前書きの末尾に「本書の文体について」と見出しが付いた文章があり、そこには次のように書かれています。要約すると、以下のようになります。
(著者が)「です・ます」体で書いた論文が、内容自体ではなく、文体が「です・ます」体であるという理由て、学会誌に投稿したときに受付を拒否された(「だ・である」体に書き換えれば受け付けるということだった)。そのことを問題にした著作なので、「です・ます」を避けることにした。いままで一般書では「です・ます」体で書いてきたので「調子がくるっている」ものとなっている。
事実、「です・ます」体で書かれた文章は、300ページほどのこの著書で、上に引用した1行だけと思われます。
実は、上記の「です・ます」体で書かれた1行を見つけて、後で私のサイトの記事で引用しようと思い、しおりを挟もうとしましたが手近なところにないので、立ち上がって、しおりになるものを取りに行ったのですが、その時に本を閉じてしまって、その個所がどこかわからなくなってしまったのです。本の前の方のページか、中ほどか、終わりごろか、がまるで思い出せないのです。仕方がないので、最初から速読のような感じで1ページずつ目を通していったのですが、とうとう見つからず、もう一度やり直したときに、「あとがき」で見つかったのです。ですから、実に間抜けな話ではありますが、かなり手短に、全ページを2度にわたって目を通して、「です・ます」体の文章はほかに見つからなかったのです。
上に述べましたが、本サイトでは、「前書き・後書きの部屋 」を除く記事は「です・ます」体で書いてきた、と思っていました。
一応、確認しておこうと思い、調べてみたところ、とんでもない勘違いであることがわかりました。
以下は、このサイトのシリーズの記事のうち、掲載回数が多く、一つ一つの記事もある程度の長さがある四つのシリーズの記事をチェックした結果をまとめたものです。
表 1 日本古典文学の部屋
| 記事の番号 | だ・である | です・ます | 日付 |
| 1~2 | 〇 | ― | ~2011/11/18 |
| 3~40 | ― | 〇 | 2012/5/1~ |
表 2 日本語のあれこれの部屋
| 記事の番号 | だ・である | です・ます | 日付 |
| 1~4 | 〇 | ― | ~2014/1/31 |
| 5~80 | ― | 〇 | 2014/4/16~ |
表 3 小品いろいろ
| 記事の番号 | だ・である | です・ます | 日付 |
| 1~4 | 〇 | ― | ~2015/5/13 |
| 5~7 | ― | 〇 | 2015/5/22~2015/6/7 |
| 8~9 | 〇 | ― | 2015/6/26~2015/12/6 |
| 10~61 | ― | 〇 | 2017/5/8~ |
表 4 前書き・後書きの部屋
| 記事の番号 | だ・である | です・ます | 日付 |
| 1~59 | 〇 | ― | ~2024/3/16 |
| 60 | ― | 〇 | 2025/1/10 |
(1) 変化した時期
表 1の「日本古典文学の部屋」では、2011年までは「だ・である」体で、2012年5月からは「です・ます」体に変わっています。このサイトは、2011年11月に、Yahoo!の中で個人サイトを作成するサービスを利用してはじめ、2012年3月に独自ドメインを取得して移行しました。ですから、独自ドメインでの再出発と同時に「です・ます」体に変化しています。
表 2の「日本語のあれこれの部屋」では、です・ます」体に変わったのはそれより2年ほど遅れた2014年4月です。2013年11月に最初の記事を「だ・である」体で書いてアップし、4回目の記事の2014年1月まで「だ・である」体が続きました。
このようなタイミングのずれはまだ良い方です。
(2) 変化のパターン
表 3の「小品いろいろ」の記事は、「だ・である」体から「です・ます」体に変化して記事を3回作成した後、「だ・である」体に戻って2つの記事、その後「です・ます」体に戻ってその後は最近まで変化がありません。
「です・ます」体に変化し、「だ・である」体に戻ったのはどちらも2015年の範囲で、その後は2017年5月に「です・ます」体に戻っています。
いったん「です・ます」体に変化して2つの記事を書いたのは2015年5月と6月で、「だ・である」体に戻って書いた記事は2015年6月と12月です。
これはまったく不思議です。短い期間の中で文体が変化しています。
私は全く記憶がありません。
いったん「です・ます」体に変わったなら、それを以前の「だ・である」体に戻す必要はないのです。
(3) 突然の変化
表 4の「前書き・後書きの部屋」は、さらに驚異です。第1回から59回まで、「だ・である」体です。本当は途中で「です・ます」体に変えたいんだけれども、「ここまで続けてしまったので、変えられないよな」と思いながら、ずっと「だ・である」体で書いてきたのです。それが60回目の記事であっさりと変えてしまっています。
「前書き・後書きの部屋」は、10本の記事をまとめて一つのファイルにしています。ほかのほとんどの記事は、記事ごとにファイルを分けています。
「前書き・後書きの部屋」だけがこのようなファイル構成にしているのは、最初の記事がとても短かったためです。
原文の引用が一行、私のコメントが数行というようなものが初期の記事にいくつかあったのです。
だんだんと、記事が長くなってきたのですが、10本の記事で1ファイルという形式は続けていました。
ですから、その点でも、No.51から59の記事を「だ・である」体で書いた後で、そのファイルに追加したNo.60の記事が突然「です・ます」体に変わる、ということは全く理解ではません。自分でもあきれます。全くその記憶がないのです。
ただ、ひとつだけ確実に言えることは、私にとっては、「だ・である」体と「です・ます」体は、意味上の違いはほとんどなく、どちらを採用してもかまわない、と考えてきた、ということです。
両者の違いは、表現上の「やさしさ、丁寧さ」を強く意識するかどうか、という違いだけです。
実例を挙げると、繰り返しになりますが、「前書き・後書きの部屋」が「だ・である」体で書き始めたのに対し、途中から「です・ます」体に変えたいと感じてきたのです。ただし、それなら過去の記事を全部「です・ます」体に変えたいが、それは労力が大きすぎるので断念したのです。
なぜ過去の記事をまとめて書き換えたいか、というと、ひとつのファイルに10個の記事が含まれるので、1ファイルの中の途中から文体を変えるわけにはいかない、という思いがあったからです。
このサイトの記事では、基本的に「です・ます」体を使います。不特定の読者(*)に"語り掛ける"形態をとっているので、「だ・である」体よりは「です・ます」体の方が私にとっては自然だと感じます。
こういうことに悩まなければならない、ということは、困ったものです。言文一致などどいわないで、口語文は「です・ます」体、文語文は「だ・である」体と決めてしまえば簡単ではないか、という考えが頭によぎります。
(*) 私のこのサイトに「不特定の読者」がどれほどいるのか、と言われると、はなはだ心もとないのは確かです。